柔軟性のトレーニング


羽鳥 操 



「体育の科学」(社)日本体育学会編集 2005 Vol.55 6月号 
  特集「新しい時代のトレーニング」

はじめに

「100メートル世界記録保持者が遅刻をしないという保証はない」野口体操創始者で東京芸術大学名誉教授・野口三千三(1914−98年)は、茶目っ気たっぷりな表情でそう語りかけていた。この言葉を詭弁ととるか否かは、運動をどのような「場」において捉えるかによる。言外に含まれる意味を、筆者の言葉に置き換えてみる。運動能力というものは、運動だけの運動として語ることはできない。柔軟性についてもまた同じである。運動は個人の価値観・生活の仕方、ひいては自然環境や人間が作り上げた人工環境といった多様な出来事や事柄が複合した「環境」のなかで、デザインされると捉えている。
本稿では、実技例を挙げながら、宇宙科学と生態心理学の研究に照らして、野口体操における柔軟性の意味を問い直してみたい。

1、「重さ」の感受性開発

 野口にとって、よりよい動きとはどのような動きなのか、という問いは一生をかけたテーマであった。野口は、敗戦後に自身が負った身体的ダメージのなかで、体育教師として生きる道を真剣に模索した。できる限り省エネルギーではたらく筋、使いすぎない意識、換言すれば微調整範囲内で「非意識の自動制御能」が生きる動きの基礎として、動きにつれて重さの方向を即座に捉える「感覚」を育てる大切さに気づいた。具体的な方法として、からだの力を抜き重さに任せきったときに生まれる、ゆらゆらと揺れる動きを中心においた。揺れるということは、「支え」に対して「ぶら下げ」が十分に行われたとき可能になる。筋に包み込まれた内骨格としてのヒトの骨は、長軸が鉛直方向に一致したとき強い。従って動的バランスの崩れのなかで、骨を土台から順に積み重ねることが、瞬時に的確に出来る動き方を、まず野口は探っていった。

2、「上体のぶらさげ」

 この「上体のぶら下げ」は、脚全体が支えとなり、骨盤を含む上体がぶら下げられることによって、内的な柔軟性を探る動きである。
動き方は次のような段取りになる。●足を腰幅に開いて立つ。● そこで安定したら左右の足の裏に重さを乗せ替える。● 乗せ替えを繰り返すうちに揺れが生じ、その揺れを伝えながら腰を後方へ引く。● 上体が前方にバランスを崩し始めたら、足関節を支えとし、股関節を軸として骨盤を回転させながら、骨盤を含む上体をぶら下げる。頭は最後にぶら下げられる。起き上がるときは膝関節を曲げることがきっかけとなり、下から順繰りに方向が換わり、最後に頭が起きてくる。動きの全過程を通して、重さの質的変化を味わうことになるが、物があって重さがないことはなく、その逆もないという当たり前のことを真っ向から取り上げている動きであるといえる。

3、なぜ「重さ」なのか

 重さは万有引力の法則によっている。重さは重量である。重量は地球の自転の遠心力が働くことによって場所によって多少変わる。そこで物理学では質量と重量を厳密に分けている。しかし日常生活感覚としては分ける必要はない。何故ならば、地上では自転遠心力の寄与は重力の1/300以下なので、体重をkgの桁まで測るとき「二桁の測定では、地球は球であり、重力は地表のどこでも一定であり、体重はどこで測っても同じであるとしてよい」2 からである。重さという言葉を使う方が、野口自身の内なる感覚をひらく実感がつかみやすいこと。尚且つ野口が得た実感が正確に伝わると考えたからである。
 では、重力と人間の関係について、宇宙科学ではどのように捉えているのだろうか。
 地球上の生きものは、重力環境の影響下にある。そのことがより明確になったのは、微小重力空間に長期滞在する宇宙飛行士によってであった。「重力は地球上で常に一定した力で生命にかかっており、これまで生命の発生・進化に少なからず影響を与えてきたことは明白である」3。初期の宇宙飛行士が帰還して、立つことも歩くことも出来なかった事からも分かるように、重力負荷にさらされているからだは、重力からの頚木が解かれると骨量の減少・筋の萎縮をきたしていた。勿論、脳神経系(感覚)への重力の影響も大きい。

4、感覚と力の微妙な関係

 野口は、感覚と力の関係において、「重さにきく」ことの積極的な意味を語っている。第一は、緩められた筋が液体的な振る舞いをみせ、そのことがキッカケとなってからだ全体が鉛直下方向を捉え易くなること。第二は、余分な力が抜けることによって、感覚は鋭敏に働くこと。この二つの関係を、養老孟司は野口との対談で、次のように語っている。「われわれは筋肉に力がはいっていることを無意識に知っている。後ろに手を回して物を取ることも自由に出来るのは、緊張したり緩んだりするという知覚入力が頭に入ってきて、何気なく自然に計算しているからです。ところが意識して何かをやろうとすると、そういう入力が働かなくなる。力を入れると小さな変化は無視されてしまう。それが肩に力が入っているということです。野口先生の場合は最初から入ってくる力をできるだけ落としてしまう。すると小さな動きがより大きく頭に感知される。自分の体の動きがむしろ意識下で理解されている」

ウェーバーの法則でも似たことが定義されている。「同じ種類の二つの刺激を区別しうる最小差異(弁別閾)は刺激の強さに比例する」(広辞苑)。
 つまり同一刺激上で違いが分かる領域には境目があり、その境目は刺激が強いときには、より強く大きな差がなければ感知できない。肩に力が入っている状態とは、そのような状態を指すのである。

5、重さを微細に分ける感覚を養う 

「皮膚という伸び縮み自由な生きている袋、そのなかに液体がいっぱい。骨も筋肉も内臓も脳も浮かんでいる」野口が提示するイメージは、骨格を中心に組み立てる従来の発想を逆転させている。こうした状態をダイレクトに実感できる「寝にょろ」と名づけられた動きがある。
 仰向け姿勢で揺すられる人をAとする。揺する人をBとする。まず床にAを仰向け姿勢で寝かせる。BはAの足先のそばに座る。BはAの両足首をもって10センチくらい床から離し、水平面内・左右方向に揺する。このとき乱暴に揺すらないほしい。小さなエネルギーでも揺れを足から腰、胴体から首を通して頭まで伝えることが出来る。
 ここで「寝にょろ」が潜めるもう一つの意味を、比較行動発達学の仮説から読み直してみたい。新生児の発達過程で見られるジェネラル・ムーブメントにおける「仰向け姿勢」の意義についてである。要約すると次のようになる。新生児を仰向けに寝かせていると、機嫌のよいときに自発運動が見られる。その動きをジェネラル・ムーブメント(GM)と名づけた。このGMは手足を含めた全身運動で、長いときで数分間続き、発達にしたがってパターンが変化していく。ところが寝返りができるようになり、視覚リーチングがはじまるころになるとほとんど見られなくなる。このことはGMから運動が次々と分化し、分化がおわるとGMそのものは消失することを顕している。
 つまり新生児は白紙状態ではなく、様々な運動発達を潜在させたカオス状態であると考えられている。さらにチンパンジーの運動発達と自発運動を研究している霊長類研究者板倉昭二・竹下秀子からの報告によると、チンパンジーにもヒトのGMに似た運動が見られるが、このGMのような運動がでるかどうかを決める要因は、仰向け姿勢が長時間とれることである。1999年竹下秀子は、仰向け姿勢が発達にもたらす意義について、次のような仮説をたてている。直立二足歩行によって脳が発達し文明をもたらしたという説に対して、仰向け姿勢こそが手に自由をもたらし「仰向け姿勢で自分では動けないことが、かえって母親や他者との複雑な相互作用を形成するのに役立っている」5・6 と考える。実際に仰向け姿勢をとってみると極めて無防備な姿勢であることを実感する。この竹下仮説を筆者は次のように読みとる。仮説は、信頼という絆で繋がった関係を感じ取り自分の内側に主観と客観の「あわい」が形成されること。そのことがコミュニケーションの基本であることを示唆していると考えられる。
「寝にょろ」をこうした視点から味わい直すと、従来殆ど考えてこなかったステージで、からだの内側で起こる出来事を捉え直す方法を野口が開発したことわかる。バカバカしいと言わずに、騙されたと思って試してほしい。介助者との協力関係から生れる「寝にょろ」の気持ちよさは格別である。柔軟性のトレーニングで痛さに我慢しきれず挫折しそうになる人にとって、この「寝にょろ」を挟むことは、至福の時となるだろう。気持ちよさこそ継続の母であり、継続こそ力なのだから。

6、「開脚長座によるほぐし」

 床に開脚姿勢で座り、左右の骨盤の中身を分け、骨盤の傾きをつくり、からだの重さで上体を床に委ねる。この場合、鉛直方向に対して垂直・からだの長軸に対しても垂直・動いていく方向に対しても垂直方向で揺すりながらほぐしていく。頭や胸を床につけることを目的としない。骨盤の傾きの自由度を探りながら、骨盤が傾き→臍の下→臍→鳩尾→肋骨全体、最後に首が緩められて頬や額が床に触れる。  このとき得られる安らかな安定感は、何ものにも代えがたい。
 最後に介助者について語っておきたい。一般に、力とは方向を変え・形を変え・重さを支えると定義されている。従来の在り方は、前述の概念に則っている。しかし外側から大きな力を加えると、当事者間の意識とは裏腹に、重さを支えるため緊張が強いられる。そこで介助者は、丁寧に触れ固まっているところに手当てをし、からだのメッセージをききとる。相手の自由度を保ち、変化をもたらす感覚をひらく手助けをする役割を、野口は介助者に求めているのである。

おわりに

 野口は地球環境空間の連続性と、生きものの進化という時間の連続性のなかで、感覚と運動を一体にする独自の理論を展開し、独特のアプローチで動きの方法を探った。殊に重さを中心におく柔軟性の探求は、柔らかな身体に柔らかな心が宿る可能性を信じることからはじまる。超高齢化時代を迎えて、日常の何気ない動きが、滑らかな動きであり続けることが如何に大事かに気づき始めた人々は、生きる原点に立ちかえり価値観を見直す必要性を感じている。からだで感じ・からだで解ることが、これ程までに問われている時代はかつてなかった。
 『からだの実感に根ざす判断は、人間がつくったおしきせの価値観・道徳律ではなく、人間をつくった大自然の原理、即ち「自然律」を感じ取る道に通じます。自然律に即した体育は、外側からの命令に服従するのではなく、それぞれが内側からの「促し」によって自律できる、真に創造性豊かな人間を育てる、と私は信じ実践し続けています』7 野口にとって柔軟性とは、このような意味において重要なキーワードであった。

文献:
1)羽鳥 操:野口体操入門, 岩波書店, 2003
2)藤本博巳:重力から見る地球,pp14-15,東京大学出版会,2000
3)宇宙開発事業団編:宇宙医学生理学,pp1,社会保険出版,1998
4)野口三千三他:DVDブックアーカイブス野口体操,pp106,春秋社,2004
5)多賀厳太郎:脳と身体の動的デザイン,pp136-137,152-154,金子書房,2002.
6)竹下秀子・赤ちゃんの姿勢と手のはたらきの進化, 科学, 69:409-416 1999
7)野口三千三:教育をどうする,岩波書店編集部編,岩波書店,1997
写真資料:羽鳥操:野口体操入門,岩波書店,2003