語りかける「からだ」と「ことば」

羽鳥 操 

「春秋」春秋社 2003 1月号 - 言葉で伝える力 -

言葉で伝える力

 ある会合の席で、昨年のワールドカップ以後、トルシエ監督が注目されていると聞いた。スポーツ界でのことかと思いきやそうではない。産業・実業界においてであるという。異業種合併、同業種合併が行われる不況下に、コミュニケーションの重要性が問われている。日本語といえども通じ合えない困難に直面する人が増えたことが原因らしい。
 出席者の耳と目が発言者に集中した。
「トルシエ監督は、アフリカや日本、という異文化の地で監督をしています。そこで彼は通訳を介してですが、言葉で伝える努力を惜しまなかったのです」
 そのとき長身でかっこいいフランス人通訳者の姿が、皆の目に浮かんだことが、それぞれの表情からうかがえた。
 トルシエ監督は、トルシエサッカーの理念や哲学、サッカーに懸ける情熱、どのように人を育てたいのか、どのような体制で試合に臨みたいのか……エトセトラ、言葉を惜しまず語りかけた。確かにテレビで報道された彼の言葉を聞いて、サッカー門外漢の私も感じるところ、思うところがあった。
野口体操創始者・野口三千三先生がご存命中、私にとって最初の著書『野口体操・感覚こそ力』を上梓して気づいたことがある。それは関心を持ってくださる読者の中に、武道や体育関係者が思いのほか多いということだ。主な理由は、野口体操ほど「力を抜くこと」を言葉で伝えられるものは少ないということらしかった。外国人は当然のことだが、最近の若者には、たとえ日本人であっても「以心伝心」のあり方では通用しなくなっているという。そこで野口体操が参考になるらしい。
 いわれてみれば、運動不得意の私が野口体操に出会って、ここまで続けられたのは先生の「言葉」に負うところが大きい。そのことは野口先生の著作を通して、より明確にお分かりいただけると思う。
 野口先生は「言葉にならないところに動きの本質がある」といい続けておられた。にもかかわらず、体操家としてこれほど言葉を駆使した人も少ない。確かに言葉に出来ないことは多い。言葉にすることによって失われることも多々ある。しかし、言葉によって伝えられることも確実にあることを私は実感としている。実際に私のからだのあり方が変わったのだから。

実感に裏打ちされた自分の「ことば」

 豊かな言葉の世界をもつ野口体操についてもう少し話を続けてみたい。
野口体操は、野口先生の敗戦体験を機に、戦前の体操の理念を打ち壊すところからはじまり、戦後の占領下において、先生もかかわって作成された文部省・体育指導要綱とも一線を画している。さらには外国仕込みの身体トレーニング方法とも異なっている。そういった意味からしても、半世紀に渡って独自の道を辿った野口体操は、体育界からはまったく無視されてきた。その理由をある人文学部教授は次のように語っておられる。
 「多くの日本人が、野口体操を理解するからだの教養をもっていなかった」と。その指摘は正しいと思う。そして自分の感覚を信じ、自分で考え、自分で価値を見つける姿勢を持たない生き方をしている人には、野口体操に対する戸惑いは大きいはずだ。ここでいわれている「教養」とは、学問的教養という意味だけではない。しっかりした経験と、そこから得られる実感に裏打ちされた自分の言葉をもっているという意味での教養であると私は解釈している。その点で野口体操は他の体操と一線を画しており、革新的なのものである。
 ではなぜ、野口体操が「ことば」と「からだ」にこだわってきたのか。
 それは野口先生の次のような考えによっている。——『仮に専門家をよしとするならば、「からだ」と「ことば」に関しては、専門家も非専門家もない。なぜかというと「からだ」と「ことば」に精通することは、自分を知り、他者との関係をよりよいものに築く上で大切なことです。したがってすべての人が、「からだ」と「ことば」の専門家になることは、生きることを確実に豊かにしてくれると私は考えています』——。
 言葉の中身を実感に裏打ちされたものに深めていくのには、漢字の字源ややまとことばの語源を遡って新しく意味を捉えなおすこと。それから捉えなおしたことばを、からだの実感に照らし合わせる。つまり、からだと動きと言葉をフィードバックさせることで、より深い理解が可能になってくる。身近な言葉をそうした作業の繰り返しで、深めておられた野口先生の姿勢から、私たちは「からだ」と「ことば」の世界に導かれ、「からだ」と「ことば」の土壌を耕し豊かにしていく道を、野口体操の場を通して教えられたことは幸せだった。

自分に正直な「からだ」

 ところで、昨今は急速にIT革命がすすんだ。そのことによって実体から離れてイメージや言葉がやり取りされることに危惧を抱く方が増えてきた。人から人に直に手渡される「何か」を取り戻してみたいと考えておられる方が増えてきている。
 野口先生は昭和四十年代初めにすでに『事実と実感と意識と表現の間にはズレがある』ということをいわれている。ズレを認めたまま「からだ」と「からだの動き」と「ことば」にかかわることで、自然と人間と自分自身とを見つめ、感覚を研ぎ澄ませ、磨く方法までも開発された。それが野口体操である。

 このように野口体操が培ってきた体操の方法を通して、自然と文化の関係を見直すキッカケを与えられた人も多いであろう。
 そこに「からだ」と「ことば」の新しい認識が広がる。
 コミュニケーションの主軸が「言葉・言語」だとしても、言葉にはいつも虚偽性・嘘が付きまとっている。それに対して、からだは言葉がもっているような虚偽性は少ないと思っている方は多い。からだは正直で「嘘」はつけないのだと思っていた。しかし文化的・社会的に生きている人間は、必ずしもそうではない。からだやからだの動き、立ち居振る舞い等も教育によるところが大きい。社会に順応していくようにしつけられた身体であることに気づく人が増えてきた。自分に正直なからだ、つまり自然なあり方を見つけてみたいと思う人が確実に増えてきたのである。親や学校や社会によって枠付けされた文化的環境によって、からだに染み付いた虚偽性を、一度取り払ってみようという思いから野口体操の扉をたたく人がいる。
 これまでの価値観のまま生きられなくなった時代に、再び身体に関心がもたれるようになった。からだについた垢・滓、虚偽性、別の喩えを借りると「からだの不良債権」を、とりあえず落としてみたいという欲求を、私はレッスンやワークショップに参加される方々から通して読み取っている。からだも言葉もまっさらな状態とはどんなことなのか、探ってみたいという方向性を時代が持ち始めていると感じている。

ことばをいくつもの視点から見る

 この春で、野口先生没後五年になる。
 私は引き続き、いろいろなあり方で、野口体操と野口三千三個人を伝える楽しさを見つけられる予感がしている。そのなかで言葉によって伝えることの難しさと、言葉で伝える危うさも抱きつつ、言葉を信じる前向きな姿勢も失いたくないと思っている。
トルシエ監督の話は、私にとっての野口体操を見直すキッカケとなった。バッシングにあったトルシエ監督は、聞くところによるとかなり我儘な御仁だったらしい。ありのままの自分であることや自分らしさを通す強さを持ち続けることと我儘は紙一重なのかもしれない。野口先生ならきっとこう発言されるに違いない。
 「我儘に徹すること、それが私自身に責任をもつことだ」と。
 野口先生は、否定的な言葉を肯定的な意味にひっくり返す名人だった。逆さまだけでなく、いくつもの視点から見ることのできる人だった。こうした自由さは、閉塞感のある時代に、新風を取り込む力を潜めているのかもしれない。

からだの「から」は、からっぽの「カラ」。(地球の)エネルギーの通り道
柔らかさとは、変化の可能性の豊かさ
豊かさとは、「ちょっと・少し、わずか・かすか・ほのか、ささやか・こまやか…」というようなことを「さやか」に感じる能力から生まれる
「さわやか(爽)」という感じをもつことができる状態を「しあわせ(幸)」という。「さわやか」とは六十兆の細胞の「風通しがいい」ことである

 このような素敵な言葉をたくさん残してくださった。
 ちなみに昭和十一年、野口先生は、最初に赴任した小学校でサッカーを教えた珍しい教師であったと教え子のお一人から手紙を戴いたことがある。昭和十一年といえば、日本が本格的な戦争に踏み出してしまった年のことでもある。
 当時はからだが弱く運動能力が低い男子は、たとえ勉強ができたとしても片身が狭かった。さらにすべてにおいて自信のない子供は、もっと惨めな学校生活を強いられていた。手紙には、そのような時代に言葉による説明を加え、具体的なものによって感覚を呼び覚ましながら、懇切丁寧に体育を教えた先生を慕う気持ちがあふれていた。
 お上からの締め付けが厳しい戦時中に、文部省の指導法に従わず、独自の指導法を編み出すことで、怪我人を一人として出さずに、高度な技を身につけさせたことができたという。実はそのことも認められて、野口先生は戦争末期につくられた官立・東京体育専門学校の助教授に大抜擢され、戦後は東京芸術大学に移られることになったのである。
 生前、野口先生から当時の話を伺っている私は、戦前・戦中・戦後のことについて、いつか聞き書きをまとめたいと思っている。
 いずれにしても野口体操の著書が新刊として復刊され、読者に受け入れられていることに、「からだ」と「ことば」が深い関係にあることを直視する時代の波を、ひしひしと感じる2003年の幕開けである。